阪神淡路大震災から24年。水道ガスのなかった3ヶ月の過ごし方を思い出してみた。

今日は1月17日。1995年に発生した阪神淡路大震災から今日で24年が経ちました。
亡くなられた方々にご冥福をお祈りすると共に、大きな地震・自然災害が本当に起こらないでほしい、と願うばかりです。

阪神淡路大震災が発生した当時、私は中学2年生で神戸市東灘区の自宅にいました。
地震発生の前夜に、翌日の百人一首のテストの勉強と母に手伝ってもらっていたこと(上の句を読んでもらっていた)、明日学校に行きたくないなと思っていたこと、
「朝寝ていたらどーん!と突き上げるような揺れが・・・」という当時の揺れを表すコメントをよく見かけますが、まさにその通りだったことを今でも覚えています。

当時何の根拠を元にしていたか分かりませんが、「関西は地震が起こらない」なんて言われていましたので、寝ている時に発生したあの揺れを、最初は地震だと信じることができませんでした。しかし発生直後の6時過ぎに当時東京に単身赴任していた父からかかってきた電話で「京都で震度5の地震があったらしいけどそっちは大丈夫か?」と言われ、やっぱり地震だったんだな、と改めて認識しました。地震直後、神戸の中心部は壊滅状態。今と違いインターネットが普及前の出来事ですので、関東のニュースでは最初に京都で拾った情報を報道していたそうです。

当時住んでいたマンションは無事でしたが、通っていた中学校は校舎の半分が倒壊。
3学期の授業がほぼなかったこと、部室のあった校舎は倒壊したので、楽器もろとも後で解体工事されたこと、隣のクラスの女の子が亡くなったこと、父親を亡くした子、母親を亡くした子、一家全員が地震の後に発生した火事で亡くなって一人取り残された子、今でも忘れることなく覚えています。

無事だった自宅でも、電話・電気はその日のうちになんとか復旧しましたが(あの混乱の中復旧作業をしてくれた作業員の人には今でも感謝)、水道・ガスは2ヶ月後の3月末まで使用することはできませんでした。

もしこれから(起こってほしくありませんが)大きな地震に襲われて、家はとりあえず無事で自宅で過ごす際に
最も重要なのは
間違いなく水(あと懐中電灯も必須)
近所の人たちとのコミュニケーション
だと認識しました。

ライフラインに不自由ない私たちにとって、水が1日でも使えないとものすごく大変です。
何が大変かって、トイレですトイレ。
お風呂なんぞ10日入らなくても耐えられますが、トイレはなかなか処理に困る。

ここで24年前の話で恐縮ですが、うちの家が震災直後に水道・ガスなし、余震続く中で今のようにスマホを使わず過ごした3ヶ月をご紹介します。

震災初日〜翌日:前日、浴槽にはっていた水をそのまま捨てずに残していたのが助かった

震災前日の夜、私が一番最後にお風呂に入りましたが、浴槽の水を抜く&掃除が面倒くさかったのでそのままにしておきました。
このそのまま残っていた浴槽の水が翌日から2日ほど、どれだけありがたかったことか。
「ごめん・・・子供が吐いちゃって、お水少しわけてもらっていい?」と言われた同じマンションに住んでいる人に分け与え、トイレを流すこともできたし、給水車が来るまで布巾に洗剤をつけて食器の汚れを取る・歯磨き・あんまり飲みたくないけど最悪飲める、など色んなことに風呂の残り湯を使いました。

24年経過した今でもお風呂に入った後、浴槽のお湯を捨てるべきかどうかたまにふと考える時があります。
とにかくお水の確保は必須。邪魔にならないところにペットボトルのケースを確保しておいて絶対損はありません。

震災3日後〜:一家総出で水の確保

近所の人から川の水を汲める情報を得たので、バケツを持って何往復もし、とにかく水の確保。隣に住んでいる人と、今街中がどういう状況か情報交換。

震災5日後〜:父が東京から急遽帰宅(西宮北口から4時間歩いてきた)もし外出中に余震で家に帰れなくなったらココに行け、というのを真剣に話し合う

今のように一人一台連絡を取れるツールがない時代。もし何かあったら、というのをガチに真剣に話し合いました。ここまで真剣な家族会議をしたのは後にも先にもこの1回だったと思います。パニックにならないための大切な話し合いでした。

震災1週間後〜:給水車による給水開始

住んでいた地域はたまたま倒壊が少ない地域でしたので、給水車が来てくれるようになりました。
朝起きる→ゴミ箱にゴミ袋を貼る→給水車が来たら列に並びに行く→ゴミ袋に水をいっぱいいれてもらう、この作業を1日に数回繰り返しました。

震災10日後〜:そろそろお風呂に入りたいので

鍋用のガスコンロを使い、鍋に給水車にもらったお水を入れる→少し熱めのお湯を作る→タオルを入れる→体を拭く→繰り返す。これだけでも本当にさっぱりします。
シャンプーをしたい時は、救援物資でもらった資生堂の「水のいらないシャンプー」で頭皮を拭く。もしくは体を拭いたお湯を上手に使い、シャンプーをほんのちょっと頭皮につけて洗う。

震災半月後〜:上記をひたすら繰り返す/近所の人と連携する

1日の始まりはとにかく水の確保。
半月後になると道路も徐々に復活して物流が少しづつ復活し始めるので、救援物資やスーパー再開の情報を近所の人と交換。

このような感じで3ヶ月を過ごしました。
3月に水道が復活、3月末にガスが復活するまで、今思うと「不便な生活」をしていましたが、当時は全く不便と思わず、生きて自宅で過ごせることに本当に感謝して過ごしていました。

今はスマートフォンで災害時にも色々な情報が得られますし、様々な防災セットが売られています。
でも私は阪神大震災から16年後の東日本大震災の時、幕張メッセにいましたが全く携帯電話が使えず、その時も神戸の地震のことを思い出しました。

インターネットがどれだけ発達しても、災害発生時にすぐに役立つかどうかわからないものです。むしろ色々な情報が拡散されて、どれが本当の情報か混乱してしまいそう。
もう二度と起こってほしくありませんが、災害の時には隣近所の人と協力して、パニックを起こさないように、そして水だけは大切に、過ごしていきたいと思います。

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