ブログをリニューアルしました。

1年に数回しか書いていないブログ・・・。
リニューアルしたので、また今日から書いていこうと思う。

2018年は仕事を始めて15年。

グラフィックデザイナーの仕事を始めて、2018年で15年が経った。
会社員11年、独立して4年。
ここまで、ただひたすら仕事をしてきて気がつけば15年である。
自分のことを振り返るのはあまり好きではないが、
ブログリニューアルを記念して(?)少し自分のことを綴ってみようと思う。

2003年3月の終わり、私は神戸の実家から東京に引っ越してきた。
就職のためである。

グラフィックデザインの仕事に興味を持ったのは、
1998年頃、高校生の時であった。
理由は至極単純、友人のバンドのメンバー募集のチラシを作ったことがきっかけである。
「将来はCDジャケットをデザインしたい」などと夢を持つようになった。

デザインの専門学校があることを知り、通いたいと親に頼み込むも、
大学に行けの一点張りで断念。
仕方なく(といいながらそれなりに楽しい生活であったが)近所の短大に入学した。

通った短大は所謂「お嬢様大学」であったがお嬢様でも何でもない私は、
ハイブランドのハンドバッグと男の話で盛り上がる女子達に混ざる気も起こらず、
淡々と単位を取り続け、イギリスやアメリカなどの洋楽CDをバイト代で買い漁り、
卒業と同時に大阪のグラフィックデザイン専門学校に入学した。

専門学校に通った2年間は今思うと人生の中に置いて楽しい時間だった。
良くも悪くも「気楽」という言葉が当てはまる時期だったのではないかと思う。

「この仕事で稼げるか稼げないか」なんてことは全く気にしなくて良かったし、
夢や志たっぷりで、自分と合う友達がたくさんいた。

このまま「気楽」なままで人生を過ごしたいと思ったし、
親戚の縁で、一社だけ就職の面接を受けることになった。

その会社は京都が本社、東京に小さな支社があった。
東京の支社をこれから拡大するから、そこのデザイナーとして来ないか?と
面接時に打診され、迷わずその場で「よろしくお願いします」と言った。

たった一社だけの面接で就職先を決め、しかも勤務地は東京。
その時は、実家を出ていける何よりも嬉しかった。

そんな気楽な生活の延長に待っていたのは、
「ものを作る」仕事の厳しさと、
今の私を形成づけた、「セールスデザイナー」の原型であった。

この話はまた今度。