先日、本屋さんで1冊の本に目が留まりました。
ミヒャエル・エンデ作の児童小説「モモ」です。
小学校の教科書にも内容が一部抜粋して掲載されていましたが、その後進学した大学の授業でも、社会人になってからも、ことあるごとに「モモ」を勧められたのに、これまで全編を一度も読まずに過ごしてきました。
なので、本屋さんで目に留まったことをきっかけに読んでみることに。
一気に読んでしまったのですが、とても今から50年前の1970年代に書かれた児童向きの小説とは思えなくらい、今の自分にとても心に刺さる内容で、ぜひ大人の方に読んでほしいと思える1冊です。
私も含めてですが、
今働いている多くの人は
- 効率的こそ全て
- 時間を短縮すること
- 生産性を上げない行いは悪である
と考えがちです。
しかし、読み終わった後には
↑この考えは本当に正しいか?
自分にとって
時間とは一体何なのか?
を考えさせられます。
主人公のモモは街に住み着いた浮浪児の小さい女の子。
何もできることはありませんが、人の話を聞くことだけはできるので、街の人はモモに話を聞いてもらううちに、自分で答えを見つけたり元気をもらったりして、いつしか近所の人にとって欠かせない存在になります。
さて、そんなある日、
街に住む床屋のフージーが、仕事をしながらこんな風に思い悩みはじめます。
「おれの人生はこうしてすぎていくのか。」フージー氏は考えました。
「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていてなんになった?
死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。」
そこに「時間貯蓄銀行」の外交員を名乗る「灰色の男」が現れて、フージーにこう言います。
「いいですか、フージーさん。
あなたははさみと、おしゃべりと、せっけんのあわとに、あなたの人生を浪費しておいでだ。死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでもいうように、みんなにわすれられてしまう。
もしもちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたがひつようとしているのは、時間だ。そうでしょう?」
「灰色の男」は
実社会で言うと、
「学生の頃勉強しておけば良かった」
「もっと他に好きな仕事をみつけておけば良かった」
と思う人に漬け込む自己啓発セミナーと全く同じような勧誘手口で、フージーにさらにこう付け加えます。
「しかし冷静に考えれば、フージーさん、あなたにとってはそれはむだな時間だ。合計すればなんと2759万4000秒もの損失なんですよ。
そのうえあなたには、毎晩ねるまえに15分も窓のところにすわって、一日のことを思いかえすという習慣がある。これがまた1379万7000秒のマイナスになりますな。
さて、これでいったいあなたにどれくらいの時間がのこっているか、見てみましょう、フージーさん。」
こうしてフージーは「時間を貯金する契約」を交わします。
そして、母親に会いに行く習慣や、就寝前に1日を振り返る習慣、好きな彼女に会いにいく習慣を全部やめて、仕事を効率化するために従業員を雇い、その人たちを厳しい目で監視しながら、仕事だけをする毎日をおくるようにます。
やがて「効率化」にとらわれすぎて、以前の優しい性格から常にピリピリしている気難しい性格になってしまいます。
立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは「モモ」の解説として次のように述べています。
効率にとらわれると、かえって大切な方向を見失います。
テニス選手の錦織圭さんのように特別な才能のある人間なら、「僕はテニスをやればいい」とわかるかもしれませんが、歴史的に見てもほとんどの人間はやりたいことがわからないまま、偶然どこかに勤めて、偶然誰かと結婚して、そのまま死んでいくのです。
それで十分なので、
自分が何に向いているのかとか、自分は何をなすべきかとかは、別にそれほど大事なことではないと思うのです。もっと自然に、川の流れに流されて生きたほうが人生は楽しい。
「モモ」の中盤で、このように時間効率を勧め「時間貯蓄」の契約をする場面を読むと、
あれ?もしかして自分の心の中にも「灰色の男」がいるんちゃうか?と感じるくらい、書かれている一文一文が心に突き刺さります。
そして「灰色の男」は、友達を愛し友達のために時間を使うモモに向かって、このように言います。
「人生でだいじなことはひとつしかない。」男はつづけました。
「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのもの──友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。
きみはさっき、友だちがすきだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」
↑これと同じような言葉、いつかどこかのセミナー勧誘で、過去に出会ったコンサルタントの言葉で、言われたような気がします。
作者のミヒャエル・エンデは「モモ」を通じて、何かに追われる人生・成功だけを追い求める人生は本当に楽しいのかと、現代社会を徹底的に批判しています。
この作品は発売当初、とても批判を受けたと言われています。それは「働くこと」を否定している内容だと捉えられたからです。
もちろん効率的に働くことは大事ですし、成功すること、お金を儲けることは大事です。
でも
無駄なことを一切排除して、仕事だけをする、成功だけを追い求める、お金儲けのことだけを考える
これが果たして本当に幸せにつながるのか?ということを改めて考えさせられます。
そして「社会の常識」は決して理想ではなく、いろんな考え方がある、自分の目でちゃんと見る、ということも「モモ」を通じて教わった気がします。
50年前に書かれた児童小説の「モモ」。
今「忙しい」と口にしている大人の私たちこそ読むべき1冊だと感じた、本当に面白い物語です。
それでは今日はこのへんで。
\お読みいただきありがとうございます/
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