この時期忘年会に呼ばれることが多く、先日も都内某所の居酒屋さんで忘年会に参加してきたのですが、楽しいは楽しいのですが、ちょっと気になることがありまして今日はそのことを。
それは、“お料理の食べ残し”。
忘年会に行くと、だいたいお一人様3,000〜5,000円前後の飲み放題+コース料理のプランで食事をいただくのですが、
ピッチャーで運ばれくるビールと酒の嵐に加え、テーブルに乗りきらんばかりの料理。
先日なんぞ鍋に加えて、刺身、お魚の蒲焼にサラダ、焼き鳥、締めのデザート・・・と。文字にすると「そんなに多くないのでは?」と思われるかもしれませんが、実際はテーブルに置くことすらままならないずいぶん沢山のお料理なのです。
せっかく振舞っていただいたのにも関わらず、2時間の制限時間で食べきれず、最後お店を出て行くと時は、まだ食べられるものから、誰もお箸をつけていないものまで、それはまあたっぷりとテーブルに残っており、何だか“すみません・・・”の気持ちに。
私はエコロジー信者でも、無駄遣いをなくそう!と鼻息荒く活動している人間ではありませんが、単純に食べ残しは“もったいない”と思いますし、その後に片付ける店員さんのことを考えたり、ゴミのことを考えると、いつも何だかなあ、と思ってしまいます。
そもそも、10人以上の飲み会になるとみんな喋るのに夢中になり、ご飯を真剣に食べていない。
大体の人がお酒だけ飲んで、少ーしだけお料理をつまんで、時間が来たのでおわり、さようなら。
9月に富山県を訪ずれ、大学時代の旧友達と再会した時も、のどぐろの刺身や蒲焼など、ものすごく贅沢なお料理を振舞ってくださるお店に連れて行っていただいたのですが、懐かしい面々が10人も集まると喋るのに夢中。のどぐろでさえ残していった記憶があります。
のどぐろに、あののどぐろに本当に申し訳ない、本当に。
ごめん、のどぐろ、ごめんね。
あの時私は残った料理をビニール袋にでもいいから入れて持って帰るべきだった(オバサンの発想)と思うのですがお店側の都合や衛生上、それを断るお店も多いのが事実。
これまで私が参加した10人以上の会合で料理の食べ残しが比較的少なかったのは、
・ちゃんと着席して静寂な中での食事
・全員の意識が食べることに向いているコース料理などの食事
・お葬式、四十九日の後でふるまわれるお料理
ほぼほぼこの3パターン。
近年では結婚式場の食べ残しも話題になっています。ケーキカットの後に振る舞われたケーキなんぞ、全く手付かずのまま残されているケースもいっぱいあるそうな。
嗚呼、もったいないですね。
食べられるのに捨てられる食品は年間632万トン
農林水産省の調査によると、食べられるのに捨てられる食品は年間632万トン。特に12月〜1月の宴会シーズンには、食べ残しが大量に発生するそう。
ちなみに国としての取り組みは、「ろすのん」というゆるキャラを使い、「30(さんまる)・10(いちまる)運動」を推進しています。「30・10運動」とは、宴会の始まった30分は自分の席でお料理を食べることに集中しましょう、宴会の終わる10分前には席に戻り再びお料理を食べることに集中しましょう、ということなのですが、
・・・初めて知ったわ。
(小学校の給食時間に出てくるような標語やな)
失礼。しかし「一人一人が意識しよう!呼びかけよう!」だけではどんな問題も解決するのが難しいという悲しい現実です。
話は少し逸れますが、
私が学生だった20年ほど前、今では考えられないほど恐ろしいことですが飲酒運転に今ほどの罰則が無く、ゆるい規則だったように記憶しています。学生時代に、某ホテルで参加した飲み会にバイクで来た先輩がいたのですが、帰る時に何とホテルのスタッフが「この道を通ると検問は少ないですよ」とその先輩にアドバイスしていたんですよ。今では考えられないですよね。
悲しきかな、「運動」ではなく「罰則(それも厳しい)」になると人は初めて、じゃあそれやめよう!と思うのかもしれません。
だったら店側が「そういうプラン」を作ってみたらどうかな
なので「席について食べよう!」という運動を掲げるのではなく、お店側が食べ残し防止につながるプランを出すというのはどうかな、と昨夜ぼんやり思ったのです。
例えば、
30人以上のお酒大好き、たくさん喋りたい人たちプラン
・お酒:どの種類も飲み放題
・お料理:5人でつまめるメイン1つ、あとはお酒のつまみになる料理をお一人様1点 とか
30人以上のお酒大好き、もし残ったらお持ち帰りOKプラン
・お酒:どの種類も飲み放題
・お料理:焼いたものしか出さない とか
などなど。
食べ残しは意識の問題かもしれませんが、以前大阪で話題になったような、こういうお客はお断りというルールを掲げた下着・靴下屋さんがあったように(その代わりめっちゃ安い)、お店側が働きかけて食べ残しを減らすようなプランや、企画、キャッチコピーがあると、少しは解決の光が見えてくるのではないのかなと思った、今日この頃です。
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