なんでグラフィクデザイナーになったのか?の原点を振り返ってみる

今日は私がグラフィックデザイナーになりたいと一番最初に思ったのは、高校3年生の時。

当時、友人が組んでいたバンドのメンバー募集をスタジオで告知するチラシを、授業中にふざけて書いたことがきっかけでした。今から考えると信じられませんが、当時バンドのメンバーを募集する時はチラシを自分たちで作り電話番号を掲載して(今思うとメールアドレスも無い時代)、そのチラシを練習で使用しているスタジオに貼り付けて、興味のある人からの連絡を待つ・・・というものです。

このふざけて描いた手描きのチラシが、友人含めバンドメンバーの間で大好評になり「自分の作ったものでこんなにも人を喜ばせることができるのか」と個人的にとても感動。そして単純に「将来はそんな仕事をしたい」と思ったものです。

「短大を卒業してまだやりたいんならやりなさい」という両親の出した条件をクリアし、神戸の短大を卒業後グラフィックデザインを学べる専門学校の夜間部コースに通いました。
その頃は「学校楽しい♪別に就職なんかしたくない♪♪♪」なんて気楽なことを思っていましたが、縁があってとある会社の面接を受けることに。そのまま採用され2003年にデザイナーとして就職することになりました。

その会社では「自分の好きなもの」を全く作ることができなかったのは今でもいい思い出です。
制作するものは全て当時の上司とクライアントの意図に沿ったものでした。しかもクライアントはほぼ100%量販店に下着や靴下を卸している会社。専門学校時代の友人が広告代理店や化粧品広告をメインに取り扱う代理店に就職する中、いわばスーパーの下着コーナーを飾る販促物やパッケージデザインの仕事ばかりを担当する会社に就職した私は、この時点で周りとキャリアに差をつけられたような気持ちになりました。

でも結局、その会社には2003年から2014年まで11年在籍しました。結局、とても仕事が楽しかったんですね。
それは詰まるところ高校生の時に感じた、「自分の作ったものでこんなにも人を喜ばせることができるのか」を常に感じることができたからです。

この販促がくっついたから去年の倍売れた、このパッケージデザインにしたらよく売れた、など小さい会社で、クライアントも小さい会社ばかりだったので、クライアントの先にいるお客様の反応をダイレクトに常に感じていました。

その代わりアーティスティックなポスターや、反応に関係のないデザインは一切作ることはありませんでした。高校生の頃「CDジャケットとか作ってみたい♪♪♪えへへ」と思っていましたが、今まで一回も作ったことはありません。
なので今でも「かっこよくてアーティスティックなデザイン」を作ることは、他のグラフィックデザイナーに比べると苦手だし下手だと思います。

でもかっこよくてアーティスティックなものを作って「私、ええやん」と思い代理店にヨシヨシされるよりも、もっさいデザインで「これ、めちゃくちゃ反応がありましたよ」と言われる方が何倍も明日への活力になります。

例えば、今すぐご予約をしてもらうために、予約用の電話番号やホームページアドレスにリンクするQRコードはばっちり目立つように入れたりします。
ばっちり目立つように入れるとデザイン性としては洗練さを失いますが、この2つをすぐ認識してもらいお客様が「あ、ここに電話すればええんか」と0.3秒で思ってくれたら、そのデザインは意味のあるデザインになります。

どんなにかっこ良くても、今すぐご予約してほしいのに連絡先をよく探さないとわからないデザインでは意味がありません。それは作ったデザイナーの「ただの自己満足」に過ぎないと思っています。

もちろん、もっさいデザインにも美しく整えるべき点は無数にありますし、お客様のことを考えて細かいところに気を使うポイントもいっぱいあります。
先ほどの電話番号やQRコードも、全部大きく入れりゃいいわけではなくお客様によって入れ方を変えたりします。

何かの賞を取るような美しい広告は作っていませんが、自分の作ったものがお客様に喜んでもらえる経験、ダイレクトに反応があった経験はお金をもらう以前にこの仕事の醍醐味であり、大きなやりがいもあります。

その代わり、とんでもなく反応がなかった時やとんでもないミスをした経験もいっぱいありますが、それはまた次回に書き記そうと思ってます。

それでは今日はこのへんで

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