最愛の猫を見送って1週間。
先週の今頃は泣いてばかりで(T_T)、このまま生活できるのか不安でしょうがなかったけれど、今では寂しさを感じながらもいつも通り仕事して、家事をして、変わらない毎日を過ごしています。
お葬式をしてお骨を拾って納めて写真を飾り、とてもお世話になった動物病院の先生と、ペットシッターさんに挨拶を済ませると、寂しさには変わりありませんが、「死」という現実を上手く飲み込めたのではないかと思っています。
ところで先日、
「ビジネスの未来」の著者、山口周さんご本人も来られたオンライン読書会に参加したのですが、
その読書会の中で、山口周さんが猫について触れる一場面がありました。(参加者のお一人の画面に、飼い猫さんがばっちり映っていたからです^_^)
猫はコンサマトリーである
山口周さんは↑このように話されたのですが、この猫のコンサマトリーな生き方に、私も言い知れぬ魅力を感じています。
“コンサマトリー”とは、
「いま、この瞬間に感じられる愉悦・官能という利得によって行為のコストが回収される活動」という考え方を、アメリカの社会学者、タルコット・パーソンズが唱えた「コンサマトリー」という概念で表したいと思います。
と、山口さんは著書で語られています。
参考 コンサマトリーとインスツルメンタルregional innovation- 瞬間的
- 手段自体が利得
- 手段と目的が融合
- 利得が内在的
- 直感的
もっと簡単に書くと、
媚びない
無理して行動しない
ということでしょうか。
例えば、
気に入られたいがために愛想をふりまく
例えば、
本当は嫌だけど、ご褒美のために自分の気持ちを押し殺して我慢する
という行動をせず、いつも自分の愉悦や官能に直結する「衝動的な活動」をすることが“コンサマトリー”だと本書では定義されています。
そういえば、動物写真家の岩合光昭さんも
猫は、私たちに
一番近い“野生”である
とメディアで度々語っています。
私たち人間が生活している日常環境で、動物としての本能に従って野生をむき出しにしている一番身近な存在が猫。
だから、同じ動物として言い知れぬ魅力を感じる、ということなんですね。
もちろん、猫のように昼間をほとんど寝て過ごし、夜になるとご飯を食べて遊ぶ・・・という生活は人間には無理ですが^^;)
それでも、猫のように
- 直感を大事にして生きる
- 自分が“快”と思うことを素直に追求する
- 今生きていることを楽しむ
こと、“コンサマトリー”に生きることは、本当に「豊かに」生きるために、これからの私たちに必要だと、山口周さんは著書の「ビジネスの未来」で語っておられます。
ちなみに猫には、人間のように「悲しむ」という感情が備わっていないと言われています。
だから例えば、自身の足を怪我して無くしても、「不便」と感じても「悲しい」を感じて悲観することはないんですね。
「悲しい」「不安」を感じるのは人間が生き抜くために必要な感情かもしれませんが、未来に対して不安を抱いたり、起こった出来事に悲しんだりするだけではなく、今日の1日を大事にして生きる大事さを、改めて山口周さんと、そして猫から教えてもらった今日この頃です。
そういう意味でも、旅立った猫と、もう1匹我が家にいる猫に感謝です^_^
それでは今日はこのへんで
\お読みいただきありがとうございます/
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