8年前の東日本大震災に思うこと

今日は3月11日。
2011年に発生した東日本大震災から今日で8年目。

亡くなられた方にご冥福をお祈りするとともに、大切な方を亡くされた方や怪我をされた方にお見舞いを申し上げます。

今日は8年前のことを思い出したことを綴ろうと思います。
8年前の地震発生時、私は展示会見学のため一人で千葉県の幕張メッセにいましたが、生きている間に、まさか2度も大きな地震を経験するとは思っていませんでした。

1度目は中学生の時に神戸の実家で体験した阪神淡路大震災です(その時の記事はこちらからご覧ください)

阪神淡路大震災から24年。水道ガスのなかった3ヶ月の過ごし方を思い出してみた。

幕張メッセで経験した3月11日の地震は、1995年の阪神淡路大震災よりもずっと恐ろしいものに感じました。一人でいたからかもしれません。

幕張メッセの最寄駅、JR海浜幕張駅がある京葉線は復旧の目処が立たず、地震後に復旧した総武線幕張本郷駅行きのバスに乗り、幕張本郷駅から当時住んでいた東京都江戸川区の自宅まで歩いて帰ることを決意しました。
当時、まだスマートフォンは持っておらず地震の情報を十分にキャッチできなかったため、体験した地震は関東圏に発生した地震だと思っており、途中の西船橋駅まで歩けば、電車も復旧しているのではないかという甘い期待を抱いていました。そして、その時に西船橋駅構内で見たテレビに映っていた津波の映像を私は生涯忘れることはないと思います。

ところで8年前、
もう時効だと思うのでぶっちゃけ書きますが、私はカナダ出身の男性とお付き合いをしていました。

私が6時間かけて幕張から江戸川区まで歩いている中、彼は東日本橋から早々に帰宅。私の自宅の近所に住んでいましたが、私にもう興味がなかったのか、地震の情報が気になっていたのか、今となってはどうでもいい話ですが(笑)、彼は帰宅後とにかくFacebook(とMultiplyというアメリカのSNS)をずっとチェックし続け、現状の日本の情報について、カナダやアメリカ、ヨーロッパ各国にいる友人達と連絡を取り合っていました。

2011年当時、日本では現在ほどFacebookを使っている人は少なかったと思いますが、海外では既にメジャーなSNS。海外で仕事をしていた彼には多くのFacebookフレンドが各国にいました。

後ほど彼から聞いた日本に対する地震への声は、日本人の私にとっては少々ショッキングなものでした。
それは全て原発事故に関するコメントでした。

・原発事故があったからもう2度と日本へは行かない
・(彼に対して)早く日本から脱出した方が良い
・日本の漫画、文化が好きだからよくECサイトから買い物をしていたけれど、それも金輪際やめる。日本のものは2度と買わない。
・日本にいる友達が他にもいるがとにかく早く帰ってきてほしい

テレビやメディアでは「各国からのお見舞い」なんて当時報道されていましたけれど、実際、彼のFacebookタイムラインにはこのようなコメントが大多数を占めていたと言います。

それは彼の友達だからこそのコメントなのか、今となってはこれもどうでもいい話ですが、私たちが思っていた以上に海外の方からは厳しい反応があったことも、私が忘れることのできない出来事となりました。

もちろん、この声は一部に過ぎないと思います。
でも私はこの時、
起こった出来事に対して第三者はこちらが想像している以上にシビアなジャッジをするんだな、と痛感しました。

もちろん日本人として生まれていますから、そのようなコメントを見て悲しく、自分が何も言い返せないこと、何も解決できないこと、自分の仕事が何も役に立つことができないという、なんとも言えない気持ちになりました。

私も海外が好きで、たまに旅行に行くくらいですが、もし私が訪れた国、好きな国で同じような地震・事故が起こったら私もこんな風に「2度と行かない」と思ってしまうのか。
思わない、と自分で自分を信じています。

自然災害・事故に対してデザインが役に立てることは、何があるのか。
残念ながら今でも答えは見つかっていません。

ただ、
このように「もう2度と行かない」「日本からもう買い物はしない」と思っている人の心を少しでも動かすことができるものをいつか作りたいと思います。それが文章なのか、デザインなのか、会話なのかまだ答えはわかりませんけれど。

私にできることを少しづつ毎日積み重ねて
これからも生かされた命の有る限り頑張ろうと思う今日3月11日です。

それでは今日はこの辺で。

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